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 太平洋高気圧が長梅雨を押しのけ、季節は唐突に盛夏になりました。年々、まるで立秋の立場を揺るがすように、猛暑の到来は当たり前になりつつあります。

 子供の頃から変わらないのはセミの合唱くらいで、その不変の風物詩に癒されています。変わり続ける世の中で、変わる事のない存在はいまや僕たちに安堵の作用を与えてくれるようです。

 思えばここ数年、世の中の変化のスピードはアップルやグーグルのデバイスやプラットフォームのアップデートに巻き込まれるように加速してきたように思います。オフラインのインフラは小さな液晶の中に吸い込まれつつあります。日本で"歩きスマホ"という言葉が生まれたとき、仕事で度々訪れるヨーロッパにはその姿はほとんど見られなかった。せいぜいメトロではペーパーバッグを読みふけ、新聞のクロスワードパズルに興じる姿が圧倒的多数だったように思います。けれど、今では多くの人々がワイアレスイヤホンを装着し、タッチパネルの操作に夢中になっています。ほんの5年くらいの変化です。

 

 この変化のスピードは何か不吉な予感を感じさせました。一つには、オンラインとオフラインの共通言語が乖離して来たことです。価値観の細分化は悪いことではありませんが、誰もが気軽に主張できる場のスケールが変化し、時にそれは強力な威力を伴い、しかも主体が何者なのか分からない不気味さです。主体は様々な情報を隠蓑に、あるいは法律の隙間を盾に、広大な情報空間に姿を消してしまう。それは膨大な人物がアセンブラージュされた巨人のようです。ある場合には、たった一人がその巨人の標的になります。抵抗する手立てやメンタリティを獲得する事は多くの場合困難になります。そういった状況がここ数年のうちに頻発するようになって来ました。


 正義と悪というおおよそ無理な二極構造が主流となり、無記名のジャッジメントが物語を脅かし、スケープゴートを捏造する世界になってしまうか、と加速する世界を見つめていました。もちろん、ある種そういった側面は今の世界の一部分に過ぎませんが、そういった物語の欠如は悪い意味で今の流れを牽引する小さくない要素だと感じます。


 現在、唐突に現れたCOVID-19はそういった二極構造を正体不明の脅威で分断させようとしています。それはまるでありの巣を突くかのように世界を混乱させています。僕たちはこの脅威の前にしっかりと物語を再編成し、描く必要がある気がしています。それは、個人と親しい友人や家族、恋人といった関係性の中で、物理的距離感と感情の距離感を結びなおす大きな転機だと感じます。


 そういった中、最近象徴的な人物に気を止められました。多くの方からは今頃?とお叱りをいただくかもしれませんが、音楽家の米津玄師さんです。彼はオンラインの世界から急速に知名度を獲得し世に出て来ました。若い世代から多くの支持を受け、デジタルネイティヴ特有の閉じられた世界を出発点に、広大な世界へ才能を開花させてきました。

 そんな道筋を歩んで来た彼ですが、主体の物語はオフラインのフィジカルを強く感じさせてくれます。混乱の世界を描く言葉や音楽は、オンラインとオフラインの力強いハイブリッドを纏い、確かな熱量でこの迷う世界を自己に重ね合わせ、みずみずしい表現で人々を物語に没入させてくれています。


 最新作のタイトル、ストレイシープは聖書の言説、迷える仔羊から取られたもので、この時世と自身を重ね合わせたかのような、確かな物語を孕んでいるように思えてならないのです。

 

 

 

 

 

 


 長梅雨の夜。窓を静かに叩く雨音を聞きながらマッキントッシュをタイピングしています。何も考えずに始める、という悪い癖は僕の人生でこうして繰り返されるわけですが、とりあえずエッセイをサイト内に新設したことを、小さな声で表明しようと思います。


 更新の頻度の安定性など全くありませんが、(加えてテーマも何も決まっていない)あえて時間の速度を緩める場所があっても、それはそれで一つ、店の側面を担うページになってくれると思っています。


 積極的な読者獲得の野望などありませんが、訪れてくれた方と静かな縁を持続していきたく思います。