2024年の幕開けは能登半島地震だった。元旦から日本中に衝撃が走った。翌2日には羽田空港で自衛隊機が旅客機と衝突。自衛隊員5名が亡くなられた。奇しくも能登半島へ支援に向かう為のフライトだった。悲しい正月だった。気持ちが追いつかないまま倒壊した家屋が連日映し出された。こんな始まりを一体誰が想像しただろう。
あれから早くも一年が経った。こうして平穏無事に文章を綴れる僕は幸せなのだろう。まずその事に感謝したい。被災地では十分な暮らしは取り戻せていないし、伝統工芸の輪島塗は震災前の1割ほどの可動しか果たせていないと聞く。継承されるべき道具も焼土化、灰に帰しただろう。何よりも多くの人命が失われた。命の尊さを改めて感じさせられた始まりだった。
反して,この一年間、世間では変わらず言葉の暴力が溢れ、常に誰かが後ろ指を刺され、抑圧されているようだった。安易なロジックや正当性を盾に常に誰かが誰かをジャッジし、資本家が偉そうにふんぞりかえっていた。格差が拡大し闇バイトなるものが若者の間で蔓延、たった数万円の報酬目当てに犯罪に手を染める者まで現れた。ポジショニングなどという刹那の現在位置で簡単に人が人を評価し、利用し使い捨てた。そんな空気がますます幅を利かせてきている気がした。
コロナ禍、生き抜く事に注視した数年間は何だったのだろう。ソーシャルディスタンス?社会距離?いやいや価値観の違いが争いの火種になり、声量の大きいものが正義を規定する様になった。ルールブックは常に書き換えられた。この気味の悪さはいつからだろう?
もともとさ、と誰かは言うかもしれない。世界を見てみろよ、戦争はいつまで経っても終わらないじゃないか。政治なんか興味ないね。いつだって好んで争い事をけしかけてるのさ。ハナから俺にどうこうできることじゃ無いんだよ。戦地に行けば月給30万円もらえるんだ。路上でくたばるならこの賭けに乗ってみる価値はあるだろうね。うまくいけば五体満足で帰還して年金も保証されるかもしれない。腕一本なくなるくらいなら儲けもんじゃ無いか。俺はいくよ。奴らに恨みも何もないけどさ、戦争なんだ。お互い様さ。死ぬ気かって?そうなりゃ仕方ないさ。こちらが先に仕留めるだけさ。それだけ考えりゃ良いのさ。
戦間期、というキーワードを耳にする様になった。さらに戦間期の終焉はアジア、中東、ヨーロッパに梯子を掛け出している。保守層は既得権益を最大限に利用し、リベラルは価値観の違いを武器に無意識に分断の溝を深めようとしている。仏教の中庸はオワコン化された。
白か黒か。
今あなたは冬の雪山で遭難している。ホワイトアウトして何も見えない。通信デバイスもバッテリー切れだ。おまけに食料は残りわずかだ。力を振り絞れ...ない...。
「大丈夫か?」あなたの腕を力強く握る誰かがいた。息はできてるか?
「...大丈夫...息...できてるよ...!」
がんばれ、意地でも下山するぞ。もう大丈夫だから。
ここはどこ?
気にしなくていい、大丈夫だから。ゆっくり、ゆっくりだ。
ありがとう。
気にしなくていい、しっかり捕まってろよ。生きるんだ。
END
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