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更新日:2024年12月22日

CDG

(Aéroport de Paris-Charles-de-Gaulle)

何故かは思い出せないが、その時僕はエアチケットとタリスの乗車券がセットで発券されたブリュッセル行きのコピー用紙を握りしめていた。そんな種類のチケット後にも先にも手にしたことなんてない。


同じキャビンに日本からブリュッセルに行く稀有な日本人なんて誰もいないだろう。この便はパリ行きなのだ。ほとんどの人々は空港からオペラまでバスやタクシーで向かい、1時間後にはリヴォリ通りのカフェ・テラスで10ユーロのプレッションジュースや8ユーロのカフェ・クレームを優雅に飲む算段なはずだ。セーヌ川はすぐそこなのだ。


僕は日本発便の気配が一瞬で消え去っていくように、ターミナルを移動し、長距離列車の発着ホールの電子掲示板の前で異国の始まりを感じていた。しかし、まいった事にこのチケットの仕組みがよく理解できずに、自分の乗車するタリスを見失い途方に暮れていた。すると......。

-

’日本の方ですか?突然話しかけられてびっくりして振り向くと、そこには同い年くらいの日本人女性が同じコピー用紙を握りしめて立っていた。


僕たちは同じ便でパリに着き、ブリュッセルに向かう稀有な日本人だったのだ。


このチケット、よくわからなくて。時間と号車はわかるんだけど、エールフランスのチケットだからこれで乗れるのかしら?しかもまだ掲示板に何も表示されてないのよ。僕もよくわからなくて確認してたんです。とりあえずまだ少し時間はあるから、きっとそのうちにサインが表示されるはずですよ。


僕たちはお互いのチケットを確認すると,タリスの同じ号車に席を予約していたことがわかった。


やがて僕らの乗るタリスのプラットフォームが表示され,エールフランスの職員がプライオリティのカートを貨物に入れ始めた。僕たちは安堵し電車に乗り込んだ。同じ号車だけれど席は離れていたからそれぞれ着席し、やがて電車は音もなく出発した。


-

ねーねー、もうブリュッセルまで止まらないからこっち来なよ、ガラガラじゃん。

後方に座っていた彼女はわりと大きな声で僕を呼んだ。振り向くと確かにガラガラだった。

ブリュッセルに何しに行くの?仕事ー?うん,アンティークの買付です。ひとまずベルギーに数日滞在して物探し。へー、買い付けかーパリじゃないんだ?パリにも行くけど、今回は先にベルギーで買い付けなんですよ。そちらは仕事ですか? うん,仕事半分。今はまだ本業じゃないんだけどジュエリーデザインの仕事してて。こっちでもちょっと仕事があるんだけど、まぁ婚約者がブリュッセルにいるから数ヶ月に一回来てるんだ。へー国際結婚の予定なんだ。日本とベルギー、遠いから、会いに来るのも大変ですねー。ううん,彼も日本人なんだ。だからただの遠距離。仕事でこっちにいるだけよ。そうか、じゃあ彼がこっちに滞在しているうちに来れるだけ来ちゃおうって感じですよね。宿代もかからないし。そうそう。うん、でもまぁ未来なんてわからないじゃない。今のとこそんな感じでこのサイクルをただ楽しんでる。彼の事も離れているとちょっとわからなくなる時あるし。ところでブリュッセルのどこに滞在するの?はー、南駅の近くですよ。まぁわかりますよね。あのエリア。行かないでしょ。あの辺り。南駅かー治安悪いよね。あの辺。私は中央駅の方。ですよねーあの辺、ちょっとね。けど割と慣れちゃって。いつも同じホテルだからフロントの青年と仲良くなったりしてね。人情あるんですよ。意外と。そっかー、うん。ていうかさ、中央の方こない?昼間とか。ありがとう、けど多分ちょっと忙しくてなかなか行けないかも。アントワープにも行くし,しかも携帯も繋がらないし。日本出たらただの鉄屑なんですよ。僕の。笑 そっかぁ,残念。じゃあとにかく仕事!良い成果が出ますように,いい物見つかりますように。って私誰だよ笑 ありがとう、そちらも良い滞在になりますように。うん、ありがとう。とりあえず着いたらバーに駆け込むわ。機内食でおかしくなった胃を洗うわ笑


僕たちはそうしてブリュッセル南駅で別れた。名前さえ聞くのを忘れていた。旅はこんなことがたまにある。


あれから10年以上経った今、まさかこんな文章を書かれた事を彼女は当然知らないだろう。というか、こんな事とっくに忘れてるに違いない。

知ったら、もー何書いてんのーって言われそうだ。



 
 
 

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