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幼少期の祖母との記憶で、ぼんやりとしたいくつかの幸福な時間がある。一つは生まれて最初の住まいだった東京の家。間取りは覚えていないが小さな和室でテレビがついていた。事実かどうかは曖昧だか僕はそう記憶している。小さな和室。


僕はみかんを頬張りながら大相撲の千秋楽を祖母とテレビで見ていた。千代の富士戦で、相手は誰か思い出せない。それは確かに千秋楽で、優勝決定戦だった。祖母は縫いものか、編みものか、とにかくテレビに齧り付くような様子もなく何か手を動かしながら過ごしていたと思う。


祖母は千代の富士を’お千代さん'と呼び、僕に漫画の主人公のように思わせた。その強さと引き締まった肉体,整った顔立ちから子供ながらに他の力士とは別格だと感じていた。そして勝負はいつも感動的だった。何倍も太った力士を投げ飛ばす時、足の筋肉と背筋が硬く筋張り,力がみなぎる瞬間を感じた。


僕は祖母の優しさとお千代さんの強さに包まれて、安心してみかんをほうばった。千代の富士はもちろん優勝した。当たり前だ。


その数年後の冬やすみ。東京から離れた祖母と新しい家で過ごしていた。その記憶もテレビと手を動かす祖母との時間の記憶だ。


それは確か夕方近く、台所で夕飯の支度をしていた祖母。まな板を包丁がたたく音。そして湯煎された鍋から立ち上がる湯気。きれいに洗濯された白い割烹着を着た祖母の後ろ姿を記憶している。


それは確かクリスマスだった。1989年。テレビがついていた。僕はプラモデルだが,何か,1人遊びをしていた。


テレビでは何処か遠い国で沢山の人が広場か何かに集まり歌を歌っていた。それは美しい合唱ではなくて、僕は少し怖かった。これはなんだろう、と思った。サッカーの大会か何かだろうか?熱狂するサポーターが騒いでいるのか?


ルーマニアで革命が起きたのだった。チャウシェスクが処刑されたのだ。1989年。冬の革命だ。


僕は湯気と台所のトントンという幸福なリズムを思い出す。革命の最中,僕は祖母の美しい後ろ姿を横目に、夕飯を待っていた。


1989年、1月に昭和天皇が崩御し、6月に天安門事件が起きた。11月にベルリンの壁が崩壊し、12月にルーマニア革命が起きた。


時代は民主化,デモクラシーが加速し,大戦のツケを消化しようとしていた。


けれど,僕は祖母との優しい時間しか実感がない。僕の1980年代はこうして幕を閉じ,平成が始まった。


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